古くからこの地を
見守る神々
御祭神
日本の最高神、天照大神
石神さんで知られる、玉依比売命
をはじめとした
二十六柱を祀る神明神社。
その歴史は長く
古くから地元の海女に
信仰されていました。
「女性の願いを一つ叶えてくれる」
と評判の石神さんは
県内外からの参拝者様も
多くお迎えするようになりました。
由緒について
二十六柱の
神々を祀る
「神明神社」
神明神社の創立年代は不詳。村創の頃より祀られていたと思われます。社殿が建てられたのがはっきりわかるのは、残されている棟札から慶長14年(1609)の約400年前です。江戸中期には八王(皇)子社があり、併せて神明八幡・御霊宮・白髭明神、熊野権現などを祀る社や祠も存在していました。明治四年に旧長岡村の村社に定められ、同三十九年、村から神饌幣帛料をもらう指定社となりました。さらに明治四十一年、神明神社や日天八王子社、字「鯨山」の無格社熊野社、字「見崎」の菅崎明神社、当切の山神社などに加え、千賀、堅子の村社を堂山(現在神明神社がある地)に合祀して、神明神社の単独の名称を許されました。翌四十二年には畔蛸の村社も合祀しました。現在、神明神社には二十六柱の神々が祀られています。
御祭神
天照大神・天忍穂耳命・天菩日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須日命・多紀理比売命・市寸嶋日売命・多岐津比売命・大巳貴命・手摩乳命・脚摩乳命・素盞嗚命・菅原道真・蛭子命・綿津見命・大山祗命・伊弉諾命・伊弉冉命・誉田別命・天児屋根命・鸕鷀草葺不合命・玉依比売命・猿田比古命・倉稲魂命・崇徳天皇
女性の願いを
一つ叶えてくれる
海の神の娘
「石神さん」
石神さんこと石神社のご神体はその名の通り石で、御祭神には日本神話に海の神(綿津見命)の娘、神武天皇の母として登場する玉依姫命が祀られています。現在の場所に遷った平成十四年の移設までは一の鳥居の右手の小さな祠に祀られており、さらに昔には現在の弘道小学校のそばにありました。またその昔、正月のある晩、島田髷に結った女神が石神さんの元に現れたという言い伝えを、相差の海女が古くから信仰し、海に潜る際の安全大漁を祈願してきました。そのことから、「女性の願いなら一つだけ必ず叶えてくれる」と言われるようになりました。
近年の石神さん参り
現在の神明神社において、境内社の石神社、通称「石神さん」は近年「女性の願いを一つ叶えてくれる」という評判が広まり、全国各地から女性たちがこぞって参拝に訪れます。相差町内会は、平成十一年度から鳥羽商工会議所とともに鳥羽エコミュージアム事業に取り組み始めた際、海女と石神さんにスポットを当てました。神社側と協力して忠霊社隣の山神社があった場所に石神さんの社殿を建て、同十四年五月にしました。
翌年からは毎年5月7日を「石神さん春まつり」とし盛り立て、磯着にかすりの腰巻き姿の海女たちが石神社の前に参列し宮司が祭典を行います。祭典の後は境内で男衆が手料理を振る舞ってねぎらいます。この行事は毎年恒例の行事となり注目を浴びています。
また、エコミュージアム事業では、磯手ぬぐいや磯ノミにしるした格子印のドーマン・星印のセーマンをあしらったお守りとストラップ型お守りの授与を始めました。近年では「パワースポット巡り」が流行し、石神さんはテレビや新聞、雑誌などに取り上げられ話題となりました。ピーク時には自家用車や観光バスが長蛇の列をなしました。それまで年間数千人程度で推移していた神明神社の参拝者数は同二十年に四万五千人、同二十五年には二十五万人と、うなぎのぼりとなっています。
令和二年一月からは、満月の日の夜限定の夜参りが開催され、限定の御朱印をいただくことができます。